BACKGROUND OF MICCA

綱島には、地域の成り立ちや人々の暮らしにまつわる、さまざまな歴史があります。江戸時代から地域を取りまとめてきた「名主(なぬし)」とはどのような存在だったのか。古民家では当時どのような暮らしが営まれていたのか。綱島では、なぜ桃栽培が盛んになったのか。
ここでは、MICCAをより深く知るための、綱島の歴史にまつわる大切な物語をご紹介します。

story_1

今では住宅や商店が立ち並ぶ綱島エリアですが、かつては鶴見川とともに、舟運による物流と農業が暮らしを支える、のどかな村でした。その中心的な存在であったのが、名主・池谷家(なぬし・いけのやけ)です。
名主とは、江戸時代の村におけるリーダーのような存在で、年貢の取りまとめや戸籍管理、幕府との連絡役を担い、村の秩序を保つ責任者でもありました。いわば、行政・経済・調整役を一手に担う「地域の要」ともいえる存在です。1600年代後半に鶴見方面から南綱島村に移ってきて以来、池谷家は代々その役割を担ってきました。
名主の仕事は、単なる「まとめ役」にとどまりません。農業の発展や土地の管理、時には治水など、村の暮らし全体を見渡しながら、判断を下すことも求められます。とくにこの地域は、鶴見川がたびたび氾濫し、甚大な被害を受けてきたエリアです。池谷家に残る史料には、周辺の33の村を代表して、鶴見川改修のために幕府へ直訴に行ったり、苦労をしている村人たちの労役免除の交渉をおこなったり……などの記録も残されています。そうした水害が多かった農地で桃栽培を新たに始め、地域に根付かせ、ひとつの産業に発展させた立役者も池谷家です。
現在では、16代目の当主・道義さんと、その息子の晃麻(あきま)さんがその役割を今に引き継ぎ、歴史を後世に伝えるべく活動しています。

綱島エリアを囲む鶴見川流域図

民衆に法令・禁令を知らせる「高札」
池谷家は情報発信地でもあった

16代目池谷道義さんと息子の晃麻さん
そして、愛犬あさひ

先代・池谷道太郎さん

story_2

新綱島駅のすぐ向かいにある、屋敷林に囲まれた広大な敷地に建つ古民家。横浜市の歴史的建造物に認定された「池谷家住宅主屋」です。安政4年(江戸時代末期)に建てられ、築およそ170年。鳥瞰図や間取り図からは、名主の家ならではの広さと独特なつくりを見ることができます。
建坪で見れば、主屋だけで100坪。間取りはおよそ9LDKにもおよび、当時の屋敷としてもかなり大きなものでした。細部に目を向けると、当時の暮らしぶりが随所に感じられます。特徴的なのは、「ゲンカン(玄関)」や「ショウエン(書院)」と書かれた来客用の入口や客間の存在です。家族の住まいでありながら、名主の家として幕府の役人たちを迎え入れていたことがうかがえます。
また、池谷家は鷹場の管理を任されていたとも伝えられ、主屋の向かいには鷹匠が泊まる「御鷹部屋(おたかべや)」があったのだとか。鷹匠は、将軍や大名の鷹狩を支える重要な人物であるため、機嫌を損なわないように丁重におもてなしをする必要がありました。御鷹部屋自体は残っていませんが、その入口に設置された「鷹匠の門」は今も健在。リニューアル後の再利用も決まっています。
170年の歴史の中で、この主屋では関東大震災後からおよそ50年ごとに大きな修繕が行われてきました。そのなかで変わらず家を支えてきたのが、真ん中でひときわ存在感を放つ「大黒柱」です。幅1.6尺(約50cm)もの太さを持ち、大きな震災でも倒れなかったというこのケヤキの柱は、池谷家が積み重ねてきた時間の重みを象徴しているようにも思えます。

明治22年発行「全日本博覧絵」に
記された池谷家鳥瞰図

幕末の最上層農家であることを示す
池谷家の間取り

昭和期。関東大震災後の大改修などを経つつも
創建当時の面影を残す

池谷家の「大黒柱」

story_3

かつての綱島を象徴する存在のひとつが「桃」です。現在ではその面影はほとんど残っていませんが、かつては辺り一面で桃栽培が盛んに行われ、昭和初期には日本一の収穫量を誇り、「西の岡山、東の綱島」と桃の一大産地に並び称されるほど、桃栽培が地域の暮らしを支えていました。
綱島の桃栽培の起源は明治30年代。名主であった池谷道太郎(いけのやみちたろう)氏が、鶴見川の水害で苦しむ農家のために、この地域の砂質の土壌に適した作物として桃の栽培を始め、地域へと普及したのです。
1907年には新品種「日月桃(じつげつとう)」の栽培に成功。早生でありながらも、ジューシーで香りが高い日月桃の評判は瞬く間に市場でも広まり、綱島のブランド品として定着しました。農家の安定した収入へとつながっていったのです。戦前の二度の鶴見川の水害や、戦後の温泉や宅地などの開発もあり、綱島の桃農家は激減しました。現在でも桃栽培を続けているのは、池谷家の1軒のみです。
桃の花が咲く頃には恒例のライトアップ行事を欠かさず、収量は少ないながらも販売を続けています。綱島の桃を絶やさず、現在へと大切に引き継いでいます。

最盛期には、あちこちに一面の桃畑が

綱島桃の創始者・池谷道太郎さん

桃販売店の宣伝ポスター(大正末期)

毎年3月末頃に行われる桃の花のライトアップ